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ピーター・フォンダ : ミニ英和和英辞書
ピーター・フォンダ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピーター・フォンダ : ウィキペディア日本語版
ピーター・フォンダ[ちょうおん]

ピーター・フォンダPeter Fonda1940年2月23日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優。父は名優ヘンリー・フォンダ、姉は女優ジェーン・フォンダがおり芸能一家で育つ。娘ブリジット・フォンダも女優として活躍している。左利き
==略歴==
幼い頃、母親の自殺で父ヘンリーと不和となり生涯しこりを残したといわれている。大学時代から演劇活動を本格化させ、卒業と同時にブロードウェイに進出。1963年『タミーとドクター』で映画デビューを果たし、清純で一本気な青年役のキャラクターで売り出すも商業ベースの作品に嫌悪感を抱き、更に自らが想い描く俳優像とは異なるエリート青年役が続いたことに疲弊し次第に姉ジェーンの影響に因ってドラッグに冒され精神的に困憊すると共に覚醒してゆく。そんなピーターの様子に興味を抱いたロジャー・コーマン1966年に自らが率いるアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)製作で実在するヘルズ・エンジェルスの生態を描いた低予算映画『ザ・ワイルド・エンジェルス』(共演ナンシー・シナトラブルース・ダーン)に主演させる、当初は西海岸のみのヒットだったものの次第に全米規模の大ヒットへと繋がって行きAIPは『オートバイ映画』(その後はAIPのみならず大手も参戦し粗製乱造され捲くる)という新たなる映画ジャンルを築いた。翌年にピーターは『白昼の幻想』(共演はアクターズ・スタジオの創設者リー・ストラスバーグの娘であるスーザン・ストラスバーグ)でデニス・ホッパージャック・ニコルソン(二人とも一連のオートバイ映画に出演していた)と出会い意気投合しこれが映画『イージー・ライダー』への布石となる。
俳優生活を通してピーターは浮き沈みの激しい人生を送る。それ故か後年彼を形容する言葉は常にピーターではなく「若き時はヘンリーの息子、その後はジェーンの弟、今ではブリジットの親父」という位置付けで扱われる事が多い。
60年代後半、世界中で吹き荒れたニューシネマ・ブームに乗って、自らも映画製作会社を立ち上げ、低予算映画を幾つも量産。そのうちのひとつがインディーズムービーのバイブルとも呼ばれカルト的な支持を得る事となってゆく1969年の『イージー・ライダー』であった。ピーターが『ザ・ワイルド・エンジェルス』に続いてこの作品に於いても乗車するチョッパーは長身(188cm)の彼とジャストマッチし格好よさが引き立たされていることも人気の要因でもある(ちなみにデニス・ホッパーは175cm)。この成功に因って一躍アメリカン・ニューシネマの旗手となる。しかし、ニューシネマ時代は去り、その遺産を食いつぶすような活動が仇となったのか、70年代から80年代に至っても代表作はB級映画のみ、しかも大半が劇場未公開という不本意なものとなってしまう。90年代は、女優として台頭した娘のブリジットの成長を見守るように静かにスクリーンから遠ざかるかに思われた。が、突如息を吹き返すように1997年『木洩れ日の中で』での老養蜂家を演じてゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)を受賞。アカデミー主演男優賞にもノミネートされ、受賞こそならなかったが久々に世界中から賞賛を浴びた。ちなみにフォンダを破りオスカーを手にしたのが、奇しくもかつての旧友であり『イージー・ライダー』でともにかけ上がった仲のジャック・ニコルソン(『恋愛小説家』)であった。ニコルソンはスピーチで「バイク仲間のフォンダ」と声をかけ、フォンダもこれに応えたというエピソードが知られる。
現在もテレビ、映画を中心に出演。俳優としてだけでなくプロデューサー脚本家監督としてマルチな活躍をし続けている一方で、華美なハリウッド嫌いをあくまで貫くようにモンタナ州の田舎でひっそりと暮らしている。
父ヘンリーとの共演作に自ら監督した1979年『グランドキャニオンの黄金』、姉ジェーンとは1967年のオムニバスヨーロッパ映画『世にも怪奇な物語』、娘ブリジットとは1993年『恋愛の法則』でそれぞれ共演している他、日本映画にも主演している。趣味はバイク。スウォッチのコレクターである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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