翻訳と辞書
Words near each other
・ ビリー・フューリー
・ ビリー・ブランクス
・ ビリー・ブレイ
・ ビリー・ブレムナー
・ ビリー・ブレムナー (サッカー選手)
・ ビリー・ブレムナー (ミュージシャン)
・ ビリー・プレストン
・ ビリー・ヘリントン
・ ビリー・ベラ
・ ビリー・ベース
ビリー・ベース・ネルソン
・ ビリー・ホリディ
・ ビリー・ホリデイ
・ ビリー・ホリデー
・ ビリー・ホワイトロー
・ ビリー・ホワイト・ウルフ
・ ビリー・ホワイト・エイカー
・ ビリー・ボイド
・ ビリー・ボブ・ソーントン
・ ビリー・ポール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ビリー・ベース・ネルソン : ミニ英和和英辞書
ビリー・ベース・ネルソン[べーす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ベース : [べーす]
 【名詞】1. base 2. bass 3. cavity base (歯科:土台)

ビリー・ベース・ネルソン ( リダイレクト:ビリー・ネルソン ) : ウィキペディア日本語版
ビリー・ネルソン[べーす]
ビリー・ネルソン (Billy "Bass" Nelson、本名ウィリアム・ネルソン・ジュニア William Nelson, Jr.、1951年1月28日 - )はアメリカ合衆国ミュージシャンベーシストギタリストニュージャージー州プレインフィールド生まれ。Pファンクファンカデリック)のオリジナルベーシスト。ファンカデリックの命名者である。

== 来歴 ==
ビリーは、ステュワート・ブラザーズというゴスペルグループのギタリストの父の子として生まれた。ビリーはスクールバンドでトランペットを吹いていたが、父はビリーにギターを買い与え、ギターを弾くようになった。1958年5月30日、7歳のビリーはジョージ・クリントンと出会い、彼の床屋で床掃除をしたり、床屋の客のために歌を歌ったり踊ったりする仕事をするようになった。またビリーは10歳の時、近所に住む1歳年上のエディ・ヘイゼルに出会い、彼にギターを教えてもらったり、セッションをするようになった。ジョージはザ・パーラメンツという名のドゥーワップグループを率いていたが、1966年頃よりこのグループのバックバンドでギタリストとして演奏するようになった。ビリーはエディをグループに誘い、このバックバンドにファンカデリックと名付けた。ザ・パーラメンツはレヴィロットから『(アイ・ウォナ)テスティファイ ''(I Wanna) Testify'' 』などのヒット曲を出したが、1968年契約上の問題から「ザ・パーラメンツ」の名を使用できなくなり、同年ジョージはバックバンドのファンカデリックを前面に出してウェストバウンドレーベルと契約し、1970年ファンカデリックとしてのファースト・アルバムを発表した。続いて1970年セカンドアルバム、1971年サードアルバムを発表したが、1972年ビリーはジョージとの金銭トラブルからバンドを脱退した。
その後ビリーはコモドアーズフィッシュボーンジャーメイン・ジャクソンライオネル・リッチースモーキー・ロビンソンと共演し、また1975年のファンカデリックのアルバム『レッツ・テイク・イット・トゥー・ザ・ステージ ''Let's Take It to the Stage'' 』収録の『 ''Better By the Pound'' 』でベースを弾いた。
1994年にはO.G.ファンク名義で初のソロアルバム『アウト・オブ・ザ・ダーク~エディ・ヘイゼルに捧ぐ ''Out Of the Dark'' 』を発表した。
1997年パーラメント - ファンカデリックのメンバーとして、ロックの殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビリー・ネルソン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Billy Bass Nelson 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.