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トニー・ペーニャ : ミニ英和和英辞書
トニー・ペーニャ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トニー・ペーニャ : ウィキペディア日本語版
トニー・ペーニャ[ちょうおん]

アントニオ・フランシスコ・ペーニャ・パディーヤAntonio Francisco Pena Padilla , 1957年6月4日 - )はドミニカ共和国モンテクリスティ出身の元プロ野球選手捕手)。現在はMLBニューヨーク・ヤンキースの一塁コーチを務めている。
== 経歴 ==

=== 現役時代 ===
ピッツバーグ・パイレーツに入団し、9月1日にメジャーデビュー。持ち前の強肩と粘り強い打撃で、には66試合に出場し、規定打席不足も打率.300をマーク。
には打率.296、11本塁打、63打点の活躍でオールスター初出場を果たす(通算5回出場)。には打率3割(.301)をマーク。同年、初のゴールドグラブ賞を受賞(以後、3年連続を含む4回受賞)。1980年代半ば頃のパイレーツは、毎年最下位争いをする弱いチームで、チームの財政状況も悪化し、高年俸のベテラン選手を次々と放出。その中で活躍を続けた。
オフにはデーブ・ジョンソン監督率いるメジャーリーグオールスターの一員として来日。当初、捕手は3人の来日が予定されていたが、ゲーリー・カーターがキャンセルし、来日後2戦目でリッチ・ゲドマンが負傷して帰国したため、以後の試合を一人でマスクをかぶり続け、打っても2本塁打の活躍でMVPを受賞。落合博満(当時ロッテ)を、座ったまま二塁に送球して牽制アウトにしたプレイで、日本のファンを唸らせた。
開幕直前にアンディ・バンスライクら3選手との交換トレードセントルイス・カージナルスに移籍。
この年は故障もあって116試合、打率.214にとどまったが、自身初のワールドシリーズ出場を果たす。
敗れはしたが、ミネソタ・ツインズとのワールドシリーズでは43打数17安打(打率.395)、4打点を記録。
以後、(出場試合の少ないシーズンを除いて)フルシーズンの打率が.263を越えることはなかったが、まではコンスタントに出場を続ける。
ボストン・レッドソックスに移籍。]には6年ぶりにゴールドグラブ賞を受賞。にはクリーブランド・インディアンスに移籍。出場機会は減ったがここぞという場面では貴重な存在で、のア・リーグチャンピオンシップシリーズ第1戦では、前所属球団のレッドソックス相手に決勝本塁打を打ち、チームを38年ぶりのワールドシリーズに導いた。1997年シカゴ・ホワイトソックス、さらにヒューストン・アストロズでプレイし、この年を最後に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トニー・ペーニャ」の詳細全文を読む




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