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ディアナとアクタイオン : ミニ英和和英辞書
ディアナとアクタイオン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ディアナとアクタイオン : ウィキペディア日本語版
ディアナとアクタイオン

ディアナとアクタイオン』(、)はルネサンス期のイタリア人巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1556年から1559年にかけて描いた絵画。猟師アクタイオンが女神ディアナアルテミス)とディアナに仕えるニンフたちの水浴を誤って目撃するというギリシア神話のエピソードを描いた作品で、ティツィアーノの最高傑作といわれることもある。右から二人目に描かれているディアナはとっさに衣で裸身を隠そうとするポーズで、偶然女神の水浴を目撃したアクタイオンは一歩身を退いているようなポーズでそれぞれ描かれている。
2008年から2009年にロンドンナショナル・ギャラリーエディンバラスコットランド国立美術館がブリッジウォータ・コレクション(オルレアン・コレクション) から5,000万ポンドで共同購入した。その結果『ディアナとアクタイオン』は5年ごとにナショナル・ギャラリーとスコットランド国立美術館で交互に展示されることになっている。2011年5月1日までミネアポリス美術館に貸し出されていた〔Masterpieces by Titian get TLC at MIA, Minneapolis Star Tribune 〕。
== 歴史 ==

=== 2005年まで ===
『ディアナとアクタイオン』は、スペイン王フェリペ2世の依頼でティツィアーノがオウィディウスの『変身物語』に題材をとった、神話のエピソードを描いた「ポエジア」と呼ばれる7点の連作絵画の一つである〔Brigstocke, 180 and 183-4〕。以降スペイン王室コレクションとなっていたが、1704年にフェリペ5世がフランス大使に贈与した。まもなくフランス王ルイ14世の甥で、後にルイ15世の摂政も務めるオルレアン公フィリップ2世の美術コレクション(オルレアン・コレクション)に最重要作品の一つとして収蔵されている。オルレアン・コレクションはフランス革命勃発後の1791年になって、その2年後に断頭台に送られることになるオルレアン公ルイ・フィリップ2世によってブリュッセルの画商に売却された〔Brigstocke, 11〕。この画商はロンドンで展覧会を開催し、入手したオルレアン・コレクションの中からティツィアーノの作品を含む多くの絵画を展示した。1798年にオルレアン・コレクションの大部分を石炭王と呼ばれた第3代ブリッジウォーター公フランシス・エジャートン (:en:Francis Egerton, 3rd Duke of Bridgewater) が購入し、そのなかには『ディアナとアクタイオン』と同じくティツィアーノによる神話連作ポエジアの『ディアナとカリスト』、プッサンの絵画8点、ラファエロの絵画3点、レンブラントの『51歳の自画像』が含まれていた。
ブリッジウォーター公エジャートンがこれらの絵画を購入したのは、自身の甥で後に初代サザーランド公爵位を受爵するガウアー伯ジョージ・グランヴィル・レヴェソン=ガウアーからの勧めによるものだと思われ、絵画購入5年後にエジャートンは死去するさいに、ティツィアーノの絵画を含む購入絵画をガウアーに遺贈している。ガウアーはウェストミンスターのブリッジウォーター・ハウス (:en:Bridgewater House, Westminster) で、エジャートンから遺贈された作品を含むコレクション(サザーランド・コレクション)を公開し、以来現在に至るまで一般公開されている。最初に公開されたコレクションを目にしたイギリス人随筆家、文芸批評家のウィリアム・ハズリット は「これらの絵画を目にしたときには思わずふらついてしまった。経験したことのない感覚に襲われ、まるで見知らぬ楽園と地平が目の前に広がっているようだった」としている。
第二次世界大戦が勃発した1939年9月に、コレクションはロンドンからスコットランドへと移された。その後1945年から2009年の長期にわたって、『ディアナとアクタイオン』や『ディアナとカリスト』を含む「ブリッジウォーター公からの貸与絵画」 (''the Bridgewater loan'') あるいは「サザーランド公からの貸与絵画」 (''the Sutherland Loan'') と総称される絵画群〔貸与絵画は26点の絵画で、そのうち16点がオルレアン・コレクションから購入したものだった。 - Brigstocke, 11〕が、エジンバラのスコットランド国立美術館で一般公開されていた。その間、イギリスを代表する風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー〔Paul Hills, "Titian's Fire: Pyrotechnics and Representations in Sixteenth-Century Venice", ''Oxford Art Journal'' 2007 30(2), pages 185-204〕やルシアン・フロイドなど多くの芸術家にインスピレーションを与え続けた。フロイドは「間違いなく世界で一番美しいコレクション」と表現している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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