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ジョージ・ルーカス : ミニ英和和英辞書
ジョージ・ルーカス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョージ・ルーカス : ウィキペディア日本語版
ジョージ・ルーカス[ちょうおん]

ジョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニア(George Walton Lucas, Jr.、1944年5月14日 - )は、アメリカ映画監督映画プロデューサー脚本家
『スター・ウォーズ』シリーズ『インディ・ジョーンズ』シリーズなどの世界的大ヒットシリーズの製作で、非常によく知られている。スティーヴン・スピルバーグジェームズ・キャメロンと並んで、最も商業的に成功した映画作家の一人でもある。
== 来歴 ==
カリフォルニア州モデストに生まれる。少年時代は、テレビで放映されたかつての映画の「連続活劇」やコミックブックに熱中して過ごす。高校時代は、カー・レースに熱中した(この時代の経験が、後に『アメリカン・グラフィティ』に描かれた)。1962年、高校卒業の直前に自動車事故に遭うが、奇跡的に死を逃れ、自分の人生を考え直す。
1960年代の間、フィルムに関する専門学科を早くから設けたロサンゼルス南カリフォルニア大学(USC)で映画の勉強をした。そこで彼はたくさんの短編を制作し、特にその中の一つ、『電子的迷宮/THX 1138 4EB』は数々の賞を受ける。この時代の仲間に、ジョン・ミリアスダン・オバノンハワード・カザンジアンハル・バーウッドマシュー・ロビンズなどがいた。
卒業後、ワーナーのスタジオでの研修中、『フィニアンの虹』を撮影中のフランシス・フォード・コッポラと出会って意気投合し、ハリウッドのシステムに強制されることのない映画制作者のための環境を作ることを目指して、コッポラが設立したアメリカン・ゾエトロープ社の副社長に就任。そして、ゾエトロープの第一作『THX 1138』(『電子的迷宮 THX-1138 4EB』の長編映画化作品)で初監督をつとめることになる。その後、ルーカスは自らの映画制作会社ルーカスフィルムを設立し、制作・監督した『アメリカン・グラフィティ』(『ゴッドファーザー』で一流監督の仲間入りをしていたコッポラを、プロデューサーとして迎え入れる)が大ヒットし、ルーカスは一躍有名になる。そして、20世紀フォックスに企画を自ら持ち込んで『スター・ウォーズ』の制作を始めるが、コッポラが自分の企画に介入することを阻止するために、温めてきた『地獄の黙示録』をノンクレジットで渡してしまう。その代わり、『スター・ウォーズ』をコッポラの影響なしに制作することができた。
『スター・ウォーズ』製作時、監督としての収入は、当時の日本円にして約5,000万円であった。FOXが監督料の上乗せをしようとしたが、ルーカスはこれを受け取らない代わりにマーチャンダイジングの権利を20世紀FOXに要求し、結果、莫大な収入を得る。この収益は、『スター・ウォーズ』全6作(特別篇、ビデオ、DVD収入を含む)よりもはるかに上回る結果となった。
その『スター・ウォーズ』公開時、興行的失敗の知らせを聞きたくなかったために、電話のないオーストラリアのホテルに潜んでいた(映画が成功したと伝えたのは同じくオーストラリアにいたスピルバーグ)。
初めは、監督より編集者として活躍していただけに、早くからフィルムをカットしていく従来の方法ではなく、ビデオを利用した電子編集を導入したり、世界最初のノンリニア編集システム「editdroid」の開発をも支援した。
『スター・ウォーズ』第1作で既にドルビー・ステレオを導入していたルーカスは、映画館の音響設備が整備されていなかった高水準の音響設備や上映環境を整えるため、THXプログラムを1980年代に立ち上げた。これは音響機器の特性から残響・遮音といった上映施設の環境に至るまで厳しい基準を設定し、ルーカスフィルム傘下で高品質の音響製作を行うスカイウォーカー・サウンドの音が、そのまま映画館でも再生出来るよう意図したものである。さらに、映写システム調整用のテスト素材TAP〔="Theater Alignment Program"〕の供給も開始。これによって、上映環境が画も音も改善され、ドルビーのサラウンドシステムの進歩も促した。THXでは上映フィルムの品質管理も行うようになり、レーザーディスクDVDBlu-ray Discなど、家庭用ソフトウェアでもTHX認定を受ける製品がある。映画上映の環境改善、ビデオや音響システムのデジタル化に伴った製作から家庭までの再生環境の向上に、ルーカスとTHXは絶大な影響を与えたのである。
スター・ウォーズ』新3部作では、まず扮装したスタッフに構想した場面を演じさせ、視覚効果と合成した時の仕上がりや各場面の尺、編集のタイミングを見通した上で俳優を起用した撮影に入る、という「撮影前に編集する」プロセスを採用。さらに、その時の映像を撮影前に俳優に観せる事により、後でCGをはめ込むため、撮影中は周りの風景が見えないブルースクリーンの中でも、より演技しやすい環境を作った。
『スター・ウォーズ』第1作のために、ルーカスフィルム傘下に立ち上げたSFXスタジオ、ILMに、1980年代初頭にCG部門を開設してピクサーの母体を作り、逸早くHD24Pを導入し配給の経費削減にも貢献するデジタルシネマ構想など、映画製作のデジタル化推進の急先鋒であるにも関わらず、当の本人は至ってアナログ派で『スター・ウォーズ』新3部作の脚本も、バインダー式ノートに鉛筆で書かれている。
映画賞にはそれほど縁のないルーカスではあるが、1991年には長年の功績を称えられ、アカデミー賞のアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。2007年第79回アカデミー賞授賞式で(過去に監督賞を受賞した)スピルバーグ、コッポラと並んでセルフ・パロディとも言うべき掛け合いを披露した。
製作総指揮を手掛けた作品は多いが、監督作とは対照的にそのほとんどは評価が低く、『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』はその最たる物である。また、監督としての作品も6作品と多くはない(うち4作が『スター・ウォーズ』)。理由の一つに、『スター・ウォーズ エピソード4』(77年)を製作中のストレスが甚大で、内気な性格の上に糖尿病を患っていたルーカスには肉体的負担が強かった事が挙げられる。ルーカスが思い描く「世界観」が誰にも理解出来ず、監督業から編集作業まで総てを手がけなければならないという激務もあって、実際、撮影中に二度入院している。そのため、『エピソード5』『エピソード6』では製作総指揮に回り、次の監督作『エピソード1』まで22年間の空白が出来る事になった。
2012年、1988年から企画を進めていた第二次世界大戦時に空軍に参加した黒人パイロットの物語『レッド・テイルズ』が公開された。ルーカスは同作を最後に「映画製作からも、会社からも身を引くつもりでいる」と引退を示唆した。ただし映画製作に全く関わらないというわけではなく、ルーカスフィルムから離れ、ハリウッドの大作ではなく『THX-1138』のような低予算で実験性の高い作品を作っていくつもりだと話している。
2012年10月30日、ウォルト・ディズニーがルーカスフィルムを40億5000万ドル相当で買収したが、ルーカスフィルムはルーカスが完全に所有していたため、売却益のほぼすべてを手にすることになる。その利益の大半を慈善事業に寄付する意志を表明している。また、資産の半分をいずれ寄付することを宣言するギビング・プレッジに参加している。
1994年の映画『ビバリーヒルズ・コップ3』ではカメオ出演している。
2015年、ディズニー・レジェンドを受賞。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョージ・ルーカス」の詳細全文を読む




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