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サンダース砦の戦い : ミニ英和和英辞書
サンダース砦の戦い[さんだーすとりでのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ダース : [だーす]
 【名詞】 1. dozen 2. (n) dozen
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [とりで]
 (n) fortress
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

サンダース砦の戦い : ウィキペディア日本語版
サンダース砦の戦い[さんだーすとりでのたたかい]

サンダース砦の戦い(サンダースとりでのたたかい、)は、南北戦争3年目の1863年11月29日テネシー州ノックス郡で起きた、ノックスビル方面作戦の趨勢を決めた戦闘である。南軍ジェイムズ・ロングストリート中将の軍が、北軍アンブローズ・バーンサイド少将の防衛線を突破しようとしたが、南軍の一方的な敗北となり、ノックスビル包囲戦は終わりを迎えた。
== 背景 ==
東テネシーで南軍は大きな地域を実質的に支配できたことがなかった。この地域では奴隷制度に対する道徳的な反感があり、またプランテーション型農業に適した土地が少ないと言う事実のために、ほとんど奴隷が居なかった。北部寄りかつ共和党支持の感情が強く、東テネシーの大半は合衆国からの脱退に賛成していなかった。それ故に、1863年9月にバーンサイドの北軍がノックスビルを占領した後も、地元民は協力的であった。ノックスビルへ到達するまでの山道の悪路のほうが悩みの種であった。
オーランド・M・ポー大尉が指揮する北軍の工兵隊が、ノックスビル近くに稜堡を持つ土盛りとして複数の砦を建設した。その1つがサンダース砦であり、ノックスビル中心街のすぐ西、小川の川岸に作られていた。1863年11月18日のノックスビル郊外の小競り合いで致命傷を負った、ウィリアム・P・サンダース准将の名前がこの砦につけられた。ノックスビル市の三方を囲む一連の土盛り工作物では突出部となっており、まわりの台地より70フィート (21 m) せり上がり、幅12フィート (3.6 m)、深さ8フィート (2.4 m) の壕で守られていた。ほとんど垂直なその壁は壕から15フィート (4.5 m) 聳え立っていた。砦の中には12門の大砲と、ニューヨーク第79歩兵連隊の440名が詰めていた〔Eicher, p. 615.〕。

ブラクストン・ブラッグ将軍指揮下の南軍が、テネシー州チャタヌーガで北軍を包囲していたので、ロバート・E・リー将軍の信頼する部下であるジェイムズ・ロングストリート中将指揮下の分遣隊がノックスビルに派遣され、バーンサイドのオハイオ軍がチャタヌーガの支援を阻止する任務を与えられた。11月16日、キャンベル駅の戦いで罠を回避した後、北軍はノックスビル周辺に防衛戦を築き、追撃した南軍により11月17日にノックスビル包囲戦が始まった。ロングストリートは北軍の防衛線の中で、サンダース砦が突破を試みるには最も適した場所だと判断した。当初11月20日に攻撃を予定していたが、援軍が合流するまで延期した。結果的に攻撃は、ベンジャミン・G・ハンフリーズ准将、グッド・ブライアン准将、ソロン・Z・ラフ大佐の指揮する3個歩兵旅団が行った。ラフはウィリアム・T・ウォフォード准将の旅団を指揮した〔。
1863年11月23日、ロングストリート軍はノックスビルからホルストン川(現テネシー川)の南にある高い崖のチェロキー・ハイツを占領した。そこはサンダース砦から約2,400ヤード (2,160 m) しか離れていなかった。ロングストリートの当初の意図は、正面攻撃の前に砲兵隊を使ってサンダース砦を「弱体化」させるつもりだった。しかしその実行前の最後の瞬間に作戦を変更し、夜明けに歩兵に急襲を掛けさせることにした。これは急襲の効果が砲撃の効果を上回ると期待したものだった。しかし、その急襲の数時間前に散兵を送り出すことで急襲の効果を削いでしまっていた。この移動によって狙撃兵には好都合な配置ができたものの、明らかに北軍に作戦計画を知らしめることになった〔Korn, p. 113.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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