翻訳と辞書
Words near each other
・ クンバル火山
・ クンバ・ヤラ
・ クンバー
・ クンバ島
・ クンパス・バル駅
・ クンパルシータ
・ クンビア
・ クンビラモン
・ クンビーラ
・ クンピア・トゥルジイ
クンピア・トゥルジー
・ クンピャ・トゥルジイ
・ クンフタ
・ クンフタ・ウヘルスカー
・ クンフー
・ クンフー・トーア
・ クンフー・マスター 洪熙官
・ クンブカラヌ
・ クンブム・チャムパーリン寺
・ クンブム・チャンパーリン寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

クンピア・トゥルジー : ウィキペディア日本語版
クンピア・トゥルジー[ちょうおん]

クンピア・トゥルジー(、ドイツ語名:イェリシュマルクト(Jerischmarkt)、ハンガリー語名:アラニョシュジェーレシュ(Aranyosgyéres))は、ルーマニアクルジュ県に属する都市。1925年にギリシュ(ハンガリー語名:アラニョシュジェーレシュ)とスンクライ(同:セントキラーリ(Szentkirály))の2つの村が合併して生まれた。
1219年に書かれた文献には、スンクライ村が“villa Sancti Regis”(聖なる王の村 の意)の名で登場する。「聖なる王」とは、この時代に神聖視されていたイシュトヴァーン1世ラースロー1世のことで、ラースロー1世はこの地でクマン人の反乱に幾度か遭った。一方、ギリシュ村は1292年の文献が初出で、“Terra Gerusteleke”(Gerustelekeとは「Gerusの小さな土地」の意)として見える。
1601年8月9日にはミハイ勇敢公がこの地でジョルジオ・バスタの刺客により殺された。
現在ではルーマニア空軍の第71航空基地が置かれ、2008年のNATOサミットの際にはアメリカ空軍の第323航空遠征部隊が駐屯したほか、イギリスのレイクンヒース空軍基地からF-15戦闘機が遣わされた。
== 人口動態 ==
この街の直近の民族構成は以下の通り
*ルーマニア人 - 87.14%
*ハンガリー人 - 7.97%
*ロマ - 4.57%
*その他 - 0.32%
1850年には、ルーマニア人が49%、ハンガリー人が40%、ロマが10%を占めていた。
1784年からの人口の推移は以下の通り
*1784年 - ギリシュ:565人 スンクライ:472人
*1850年 - ギリシュ:1168人 スンクライ:487人
*1910年 - ギリシュ:1815人 スンクライ:704人
*1930年 - 4124人
*1948年 - 6310人
*1956年 - 1万1518人
*1977年 - 2万2418人
*2000年 - 2万9852人

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クンピア・トゥルジー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.