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カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン : ミニ英和和英辞書
カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン : ウィキペディア日本語版
カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン[ちょうおん]

カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルンKaroline Auguste von Bayern, 1792年2月8日 - 1873年2月9日)は、バイエルン王国の王女。バイエルン王マクシミリアン1世の三女で、のちのヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世の最初の妃、次いでオーストリア皇帝フランツ1世の4度目の妃となった。
1792年2月8日、後のバイエルン王マクシミリアン1世とその最初の妃であったアウグステ・ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットの間に第4子としてマンハイムで生まれた。
1808年6月8日ミュンヘンで、当時ヴュルテンベルク選帝侯の世子だったヴィルヘルムと結婚するが、1815年に離縁した。その後、1816年11月10日ウィーンで、オーストリア皇帝フランツ1世と再婚した。その際、同時にフランツ1世の弟のトスカーナ大公フェルディナンドからも求婚を受けていた。皇室の財政難から、質素な結婚式を挙げた後、美しく、慈善活動に積極的な皇后は国民からの高い人気と尊敬を受けることとなった。ちなみに、フランツの最初の妃エリーザベト・フォン・ヴュルテンベルクは、ヴィルヘルムの叔母にあたる。
カロリーネ・アウグステは生涯を通じ、子に恵まれることはなかった。なお、異母妹の一人のゾフィーがフランツ1世の三男フランツ・カール大公と結婚して皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を、もう一人のルドヴィカが同族のバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフと結婚してその皇后エリーザベトをもうけている。確執で知られるゾフィーとエリーザベトだが、カロリーネ・アウグステはこの異母妹と姪の両者と非常に親しかったという。
夫の死後は主にザルツブルクで過ごした。カロリーネ・アウグステは1873年2月9日にウィーンで死去した。遺骨はウィーン・カプツィーナー教会皇帝納骨所カイザーグルフト)に収められている。
== 系図 ==









抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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