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イヴリン・ウォー : ミニ英和和英辞書
イヴリン・ウォー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イヴリン・ウォー ( リダイレクト:イーヴリン・ウォー ) : ウィキペディア日本語版
イーヴリン・ウォー[ちょうおん]

アーサー・イーヴリン・セント・ジョン・ウォー(Arthur Evelyn St. John Waugh、1903年10月28日 - 1966年4月10日)は、イギリス小説家グレアム・グリーンと並ぶカトリック作家であり、グリーンとは対照的に辛辣な風刺とブラックユーモアを身上とした。代表作に『衰亡記』、『ブライズヘッド再訪』、『名誉の剣』三部作などがある。
== 経歴 ==
出版社社長で文芸評論家のアーサー・ウォー(Arthur Waugh)の息子としてロンドンに生まれる。兄も、映画化された『陽の当たる島』などの作品がある小説家である。一族の系譜には詩人・文芸評論家のなどもいる。
パブリックスクールを経て1922年オックスフォード大学ハートフォード・カレッジの歴史学科に入学。しかし勉学に身を入れず放蕩生活を送り、2年後に退学。ヒーザリー美術学校に入学しなおすがここも短期間で退学した。しばらく教師をしながら各地を放浪し、1928年に同名のイーヴリンという女性と結婚(「イーヴリン」は男女双方に用いられる名前)。この年にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの評伝を書き上げるとともに最初の長編小説『衰亡記』(''Decline and Fall'')を執筆し、2冊をほぼ同時に刊行、文壇デビューを飾る。『衰亡記』は大学を放校された青年がパブリックスクールの教師して教鞭をとるユーモア小説で、以後『黒いいたずら』(1932年)、『一握の塵』(1934年)など、ときにはグロテスクになるほどシニカルな風刺をこめたユーモア作品を発表していく。
1930年、妻の不倫がもとで離婚し、これを機にカトリックに改宗。1938年に再婚。第二次世界大戦時はユーゴスラビアへ赴任しており、彼の入営が報じられると、名前から女性と勘違いして部隊の将兵全員が髭を剃り、花束を持って兵舎の入り口まで迎えに飛び出して行ったという逸話がある。大戦の末期、前線でパラシュートの降下中に負傷して長期の休暇が与えられ、これを利用して長編小説『ブライズヘッド再訪』(''Brideshead Revisited'')を執筆。この作品ではそれまでの作風を転換し、語り手ライダーとカトリック旧家の次男セバスチャンとの友情、その妹ジュリアとの恋愛、セバスチャンの宗教に対する葛藤とそのための落魄を、絢爛な貴族文化を背景として美しく描き、従来のウォー作品に慣れた読者を失望させるとともにそれ以上の熱烈な愛読者を生んだ。特に本書は貴族的伝統のないアメリカ合衆国で爆発的な人気を博している。
1950年代初頭から、従軍経験をもとにした『戦士』(''Men at Arms''、1952年)、『士官と紳士』(''Officers and Gentlemen''、1955年)、『無条件降伏』(''Unconditional Surrender''、1961年)からなる『名誉の剣』(''Sword of Honour'')三部作を発表。1966年4月10日にサマセットにて死去。62歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イーヴリン・ウォー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Evelyn Waugh 」があります。




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