翻訳と辞書
Words near each other
・ アダム・チェルニアコフ
・ アダム・チェルニャクフ
・ アダム・チェン
・ アダム・ツイ
・ アダム・ディヴァイン
・ アダム・デュバル
・ アダム・デヴィッドソン
・ アダム・デヴィッドソン (監督)
・ アダム・デヴリン
・ アダム・トムソン
アダム・ドナキー
・ アダム・ドライバー
・ アダム・ネルソン
・ アダム・ハイズデュ
・ アダム・ハラシェヴィチ
・ アダム・ハルナ
・ アダム・ハンガ
・ アダム・ハンセン
・ アダム・ハーツ
・ アダム・バス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アダム・ドナキー : ミニ英和和英辞書
アダム・ドナキー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アダム・ドナキー : ウィキペディア日本語版
アダム・ドナキー[ちょうおん]


アダム・ドナキー (''Adam Michael Donachie'' :アダム・マイケル・ドナキー、1984年3月3日 - ) は、アメリカ合衆国フロリダ州出身のプロ野球選手である。時点では、米独立リーグアトランティックリーグに属するサマーセット・ペイトリオッツに所属〔Adam Donachie - Atlantic League of Professional Baseball Clubs - player - Pointstreak Sports Technologies (英語) . 2014年12月28日閲覧。〕。同じく2014年時点では、MLBでプレイした事はない。姓の「Donachie」は、正しくは「ドノッチー」ないし「ドノーチー」 (発音:doh-NOTCH-ee) 〔Adam Donachie Minor League Statistics & History - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年12月28日閲覧。〕と読む。
== 経歴 ==
2002年6月カンザスシティ・ロイヤルズがドラフト2巡目で指名し〔、ティンバー・クリーク高校 (英語:Timber Creek HS) からプロ入りした。プロ入り後は、マイナーリーグガルフ・コーストリーグ (ルーキー級) に属するGCL・ロイヤルズに配属され早速、試合に出場した。同年は21試合に出場し、打率.206・3打点という打撃成績だった。守備では19試合で捕手守備に就き、無失策・盗塁阻止率25%を記録した。
、前年と同じくルーキー級のアリゾナリーグのチームであるAZL・ロイヤルズに所属。22試合の出場で、打率.250・7打点という成績をマークし、またプロ入り初三塁打を放った。守備面では、捕手としての20試合で2失策を犯したものの、盗塁阻止率を27%まで上げた。
、ランクを上げて (A級) ミッド・ウェストリーグバーリントン・ビーズでプレイした。ビーズでは67試合に出場し、プロ入り初本塁打・初盗塁を記録したが、打率.189と不振に陥った。守備面でも、8失策・守備率.986と成績を落とした。なお、盗塁阻止率は記録されなかった。
前年は成績不振だったが、は2年連続でランクを上げ (A+級) 、カリフォルニアリーグに属するハイデザート・マーベリックスに昇格した。マーベリックスでは102試合に出場し、打率.294・12本塁打・48打点・1盗塁・OPS0.842という成績を記録、打撃が開花したシーズンとなった。また守備面でも、自身初の2ケタ失策 (10失策) を犯したものの、盗塁を38回刺して阻止率52%を記録し、強肩を発揮した。
、前年に引き続きマーベリックスでプレイ。62試合の出場で打率.271・6本塁打・21打点という成績を残し、AA級・テキサスリーグウィチタ・ラングラーズ (当時の球団名) に昇格した。昇格後は、29試合の出場で打率.191・2本塁打・10打点という成績に終わった。2チーム計の成績は、打率.247・8本塁打・31打点という内容だった。守備では、2チーム計91試合の捕手守備で、守備率.990・盗塁阻止率45%という数字をマークし、強肩は健在だった。
は、シーズン開幕前のボルティモア・オリオールズの40人ロースターに入った。しかし、メジャーデビュー出来ずに終わった。マイナーではラングラーズで84試合に出場し、打率.207・9本塁打・35打点という数字で不振がぶり返した。守備では守備率.992を記録した一方、盗塁阻止率は33%まで低下した。
、ラングラーズ改めノースウェストアーカンソー・ナチュラルズで91試合に出場したが、打率.212に終わり打撃不振から脱却出来なかった。守備面では、捕手として90試合で7失策・守備率.989・盗塁阻止率37%という数字を残したほか、プロ初の一塁守備にも就いた。一塁では、8試合で無失策と無難にこなした。
、オリオールズ傘下のチーム・ボーウィー・ベイソックス (イースタンリーグ、AA級) に籍を移した。ベイソックスでは88試合に出場したが、打率.215・5本塁打・33打点という成績に終わり、低打率のままだった。守備では盗塁阻止率39%を記録し、2年連続で数字を上昇させた。また、この年も2試合でファーストを守った。
、ベイソックスで5試合に出場したが、打率.150と極度の打撃不振に陥った。しかし、インターナショナルリーグ (AAA級) のノーフォーク・タイズに昇格を果たした。タイズでは、78試合の出場で打率.201と不振が継続。2チーム計の打率は.197と、遂に打率.200にすら届かない状態に陥った。守備面でもベイソックスで13%、タイズで24%、通算で23%の盗塁阻止率に終わり、攻守両面で不調を呈したシーズンを過ごした。
、A+級のカロライナリーグに降格し、出直しを図る事になった。同リーグではフレデリック・キーズに所属し、22試合に出場。しかし、A+級のチームにもかかわらず.221という低打率に終わり、スランプ状態が続いた。その後、ベイソックス及びタイズに再昇格したが、ベイソックスでは.154・タイズでは.171と大不振を極め、3チーム計の打率は、2年連続で.200未達となる.194に留まった。守備面での不振も継続し、3チーム計26試合の捕手守備で、守備率.988・盗塁阻止率23%という内容だった。
、遂にメジャー組織の球団から見切りをつけられ、米独立リーグのサマーセット・ペイトリオッツに移籍した。ペイトリオッツ初年度は、83試合に出場して打率.257・3本塁打・22打点・1盗塁と、成績が向上した。守備では、ファーストを守る割合が上昇し、64試合で捕手・14試合で一塁手を務めた。なお、捕手としての守備成績は守備率.986・盗塁阻止率32%という内容であり、守備率こそ更に低下したが、3年ぶりに阻止率を30%台に戻した。
、前年に引き続きペイトリオッツでプレイ。82試合の出場で、打率.235・6本塁打・40打点・1盗塁という成績を残した。守備面では、8試合でファーストを守り、2失策・守備率.957を記録。捕手としては、70試合で2失策・守備率.996・盗塁阻止率33%という好成績をマークした。
、ペイトリオッツ移籍後では最小の78試合出場であったが、打率.277・9本塁打・45打点・OPS0.798は、いずれも自己ベスト (ペイトリオッツ) の数字だった。守備では、66試合のキャッチャー守備で2失策・守備率.995と安定していたが、盗塁阻止率は20%まで低下した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アダム・ドナキー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.