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ZELDA : ウィキペディア日本語版
ZELDA[ぜるだ]

ZELDAゼルダ)は、1980年代から1990年代にかけて活躍していた日本ロックバンド
メンバーが全員女性のガールズバンドの草分け的存在であった。女性グループとしてもっとも長い活動歴を持つことで、ギネスブックにも記載されている。
リーダーの小嶋さちほを中心に、音楽ジャンルも多彩にこなし、パンク、ポップス、ファンク、ブラックミュージック、そしてルーツミュージックと実験的なものを含め取り組み、次世代バンドに影響を与えた。
バンド名は、アメリカ小説家F・スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダ・セイヤーに因んでいるとのこと。
== 来歴 ==

*1979年、日本のガールズ・パンク・バンドの先駆けであったBOYS BOYSのベーシスト小嶋さちほを中心に結成。新宿ロフトで初ライブを行う。初代メンバーは、小嶋(ベース)以外に、ケイ(ボーカル)、鈴木洋子(ギター)、野沢久仁子(ドラムス)、トヨ(シンセサイザー)の五人であったが、すぐにケイとトヨが脱退。〔雑誌「MUNION SPECIAL EDITION 日本のパンクロック」(1982年発行)より〕
*1980年3月、小嶋が発行していたミニコミ「チェンジ2000」に出したメンバー募集に応募してきた高橋佐代子がボーカルとして加入する。二人が最初にあったのはストラングラーズの来日公演である。当時中学生であった高橋は上下黒づくめの服であったと小嶋は後のインタビューで述べている。同年12月、インディーズ・レーベルのジャンク・コネクションより1st.シングル『ASHU-RA』をリリース。
*1981年、ソノシート『ZELDA』をリリース。
*メジャーデビューは1982年8月25日、日本フォノグラム(後のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント。現在はユニバーサルミュージックK.K.に吸収)よりアルバム『ZELDA』とシングル『ミラージュ・ラヴァー』を同時リリース。プロデュースはLIZARDのモモヨであった。なお、この時のメンバーは小嶋、高橋、鈴木、野沢の四人。
*1983年に、ギターが鈴木から石原富紀江、ドラムが野沢から小澤亜子(ex.新●月)に交替。石原はハードロック出身であるにも関わらず、テクニック面では「ヘタウマ」であったが、これが当時のZELDAの雰囲気に適合した。また石原のハーモナイザーを使用した独特のキラキラした音色と、インド音階を上手に組み合わせた中近東的なソロは、現在でも革新的である(ライブアルバム「Dancing Days」で堪能できる)。そしてジャパンスティーヴ・ジャンセンを師と仰ぐ(雑誌「キーボードスペシャル」創刊号より)、小澤は、古今のロックバンドのドラマーには珍しく16ビートを基調とした端正かつタイトなドラミングであり、シーケンサーの操作やシンセサイザーの音色作りにも習熟していた。そして、ムーンライダーズ白井良明をプロデューサーに、ゲストに鈴木慶一を迎えて2nd.アルバム『CARNAVAL』をリリース。ZELDAはニューウェイヴバンドとして不動の地位となった。
*1984年には小嶋、高橋の二人が別ユニット『招き猫カゲキ団』としても活動、同年9月、アルバム『第一歌曲集』をリリース。アコースティックの脱力系昭和レトロ、唱歌的要素を持ったユニットであり、聞き手に緊張を強いた当時のZELDAとは正反対の音楽であった。
*1985年に所属レコード会社をCBSソニー(ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍。前作同様、白井良明プロデュースの3rd.アルバム『空色帽子の日』をリリース。
*1986年公開の映画『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』に、メンバー全員が出演(バンド・ZELDAとして)。
*1987年、元四人囃子佐久間正英をプロデューサーに迎えて4th.アルバム『C-ROCK WORK』をリリース。
*1988年頃より、小嶋がファンク/ブラックミュージックに傾倒。プログレ出身でもともと16ビートを叩いていたドラムの小澤はすんなり対応できたが、8ビートのハードロック出身であり、「ヘタウマ」であった石原は適性を活かせないようであった。(ライヴではファンク特有の16ビートカッティングに苦渋する石原の姿が見られた)。それにより新たに生まれ変わったZELDAの5th.アルバム『SHOUT SISTER SHOUT』をリリース。
*1989年、前作以上にファンク/ブラックミュージック色を強めた6th.アルバム『D.R.O.P.』をリリース。
*1990年、ギターの石原が脱退。これより約1年間活動を休止、この間に所属レコード会社がavex系のレーベル、cutting edgeに移る。
*1991年、ギタリストとして本村直美が加入。世界の各種音楽要素をギターにより表現できる本村の加入により、ZELDAはワールドミュージックを基調とした伸び伸びした音楽に一転した。
*1992年、ジャマイカ録音の7th.アルバム『LOVE LIVE LIFE』をリリース。
*1993年、プロデュースにサンセッツの井上ケン一、ゲストにスライ・ダンバーイエローマンオーガスタス・パブロなどを迎えたジャマイカ録音の8th.アルバム『FULLMOON PUJAH』をリリース。
*1996年、SAYOKO(高橋)のソロ・アルバムや小嶋の沖縄生活などが反映された9th.アルバム『虹色のあわ』をリリースしたが、その後、解散を(活動を継続しないことを)発表。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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