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MiG-23PD ( リダイレクト:23-01 (航空機) ) : ウィキペディア日本語版
23-01 (航空機)

23-01またはMiG-23PD(ロシア語:ミーク23ペデー)〔ソ連の試作機の命名法には法則性がない。ミコヤン設計局はMiG-21の後継機候補にそれぞれ23-01,23-11,23-31と命名しているが、これはそれぞれがMiG-23として採用される事を目標としたためである。従ってMiG-23PDのような可変翼型の派生型に過ぎないことを連想させる名称は、23-11が採用された後に後付けとして命名されたものである。また他にMiG-23DPD、Ye-230などの名称としている資料も散見される。〕は、ソ連ミコヤン設計局が試作した戦闘機である。北大西洋条約機構 (NATO) の使用するNATOコードネームはフェイスレス (Faithless)。''ミーク23ペデー)〔ソ連の試作機の命名法には法則性がない。ミコヤン設計局はMiG-21の後継機候補にそれぞれ23-01,23-11,23-31と命名しているが、これはそれぞれがMiG-23として採用される事を目標としたためである。従ってMiG-23PDのような可変翼型の派生型に過ぎないことを連想させる名称は、23-11が採用された後に後付けとして命名されたものである。また他にMiG-23DPDYe-230などの名称としている資料も散見される。〕は、ソ連ミコヤン設計局が試作した戦闘機である。北大西洋条約機構 (NATO) の使用するNATOコードネームフェイスレス (Faithless)。
== 概要 ==

1960年代、戦闘機の速度はマッハ2に達した。西側では、このような超音速飛行ではかつてのような戦闘機同士の空中戦など発生せず、敵機が飛び立つ前に滑走路を破壊して無力化する、いわゆる航空阻止こそが雌雄を決するとして、アメリカでは爆弾倉を持つF-105のような戦闘爆撃機が主力となり、西ドイツでは軽戦のF-104を無理に爆装してまでも戦闘爆撃機に力を注いでいた。その一方で、航空阻止の対抗策として、逆に自軍が滑走路を破壊された場合も作戦を継続できるSTOLVTOL機の研究も各国で開始された。
ソ連もMiG-21の後継機にはSTOL、VTOL性能が重要として研究を行っていたが、システムが複雑なVTOLより主エンジンとは別にリフトエンジンを搭載することでSTOL性能を得るほうが有効であるという結論に達し、まず現用機を改造した23-31 (MiG-21PD)、次いで主翼はMiG-21を流用〔同様にSu-24の原型T-6もSu-15の主翼を流用している。これは新設計の主翼よりも信頼性が高く手堅いという利点もあるが、当時ソ連は航空機よりもミサイルを重視しており、Tu-22MSu-11Mの例のように発展型と位置づけることによって、開発承認を得ようとする意図があった。〕しているものの、胴体を大型化し、機首空気取り入れ口からミラージュIIIのような側面にショックコーン付の半円形の空気取り入れ口に変更した23-01が開発され、1967年4月3日に初飛行した。リフトエンジンは胴体中央に2基のコリェソフRD-36-35(推力2,350kg)を使用。起動時は上部の空気取り入れ口が開き、推力を偏向して下面から排出することで機能し、この結果離陸200m、着陸250mという優秀なSTOL性能を発揮した。1967年7月9日に出場したツシノ航空ショーで西側は当機に注目し、ソ連もそれに呼応して写真を沢山発表して実用化が近いことをアピールした。
しかし1965年から平行して開発していた可変翼型(23-11、後のMiG-23)の開発の目処が立ったことによって状況は一変した。当初のSTOL性能は確保できたが、リフトエンジンが胴体中央を占領しているために燃料搭載の容量が少なく、胴体下面の排気口のために兵装や燃料タンクを搭載できず、武装は主翼パイロンに搭載するR-23AA-7「エイペックス」)2発と23mm機関砲のみであった。更に水平飛行中はリフトジェットは使用しないためその分だけ死重となった。対して23-11はSTOL性能は23-01に及ばないものの、航続性能、兵器搭載量は比較にならず、総合面では23-11の方が勝っていた。当初は当機を最前線の敵機迎撃に充てようとしていたため、足の短さや兵装の少なさについては目をつぶっていたが、オールラウンダーのMiG-21の後継機に当機の汎用性の無さはどうかということになり、テストは14回で打ち切られ、23-01は結局不採用になった。
つまるところ当機の失敗はリフトジェットの技術的問題ではなく、その構想自体に問題があったと言える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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