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JIRO : ウィキペディア日本語版
JIRO[じろう]

JIRO(ジロウ、1972年10月17日 - )は、日本ミュージシャンで、GLAYTHE PREDATORSベーシストとして知られる。本名、和山 義仁(わやま よしひと)。
北海道函館市出身。函館大谷高等学校卒業。身長169.5cm。(168cmという説もあり)
== 人物 ==

*血液型はA型。
* 最年少メンバーにして〔HISASHIも生まれた年は1972年と同じだが、2月2日生まれの早生まれであり、学年はJIROより1学年上(TAKURO・TERUと同学年)になる。〕、GLAYの副リーダー的存在。また、the pillowsのトリビュート・アルバムにも参加経験あり。
* メンバーの芸名では唯一本名に由来していない(TAKUROHISASHIは下の名前をそのまま、TERUは本名の照彦の略称である)。由来は、GLAY加入前に所属していたバンド「ピエロ〔(当時、函館で人気のあったバンドであり、JIROの友人がメンバーにいた。PIERROTとは全く関係がない)〕」のボーカリストに名前を聞かれ、とっさに「JIRO」と答えたため〔JIRO『キャラメルブックス』ソニーマガジンズ、1999年、158頁〕。本人も、何故自分が「JIRO」と言ったのかまったく分からないらしい。
* GLAYのメンバーを呼ぶ際は、TAKUROは「TAKUROくん」、HISASHIなら「トノくん」、TERUなら「テッコ」と呼んでいる。また元メンバーのAKIRA(上島明)のことは「ウエシマくん」、NOBUMASA(大庭伸公)のことは「オバちゃん」と呼んでいた。
* ギターのように大きく腕を振って弾く、独特な奏法でベースを弾いている。ベースはギターと違い、和音ではなく単音を的確に弾く必要があるため、弾かない弦をミュートしている。また、影響を受けたベーシストに、元ガンズ・アンド・ローゼズダフ・マッケイガンZIGGY戸城憲夫を挙げている〔2005年に刊行された「別冊カドカワ 総力特集GLAY」内のインタビューにおいて〕。
*その端正な顔立ちから、女性に非常に人気があり、芸能人でも武井咲佐々木希がJIROのファンを公言している。メンバー曰く、実際にGLAYの中で一番モテるのはJIROで、TAKUROは女の子からJIROのことについての相談も多々あったという。
* 優れたファッションセンスの持ち主で、衣服にあまりこだわらないTAKUROから相談されるほど。代官山でJIROとは気付かれずに「雑誌のオシャレ選手権に出ないか」とスカウトされたこともある。
*デビュー当初はローラーブレードを履いてスタジオ入りした事があり、事務所側から叱責された。
* 趣味カメラスノーボード。特にカメラは、風景などを撮るのが好きで、GLAYの会報内でコーナーも設けられている。このコーナーでは、ファンからの投稿も採用しその時々の季節感やテーマにそっている。また、シングル「Precious」では、JIROが撮影した写真がCDのジャケットに用いられている。
* GLAYでもTHE PREDATORSでも、稀に作曲をする。自身が作曲したGLAYの楽曲「SHUTTER SPEEDSのテーマ」は、特にライブでも盛り上がる楽曲となっている。
* GLAYではTERUに次いでメインボーカルを担当することがあり、「SHUTTER SPEEDSのテーマ」「ストロベリーシェイク」「THE BIRTHDAY GIRL」などで自ら歌っている。なお、2005年からは、THE PREDATORSのベーシストとしても活躍。
* HISASHIとは、なぜか2人きりになると気まずいムードになってしまう事が多いとのこと。ただ、決して仲が悪いわけではない。メジャーデビューから10年経ってようやく2人きりで飲みに行った、とのこと。
*インディーズ時代は「ハツリ屋」などのバイトをしていた。
* TAKUROから新曲を聴かせられた際、TAKUROに対し「古いよ」と意見した事がある。TAKUROはこれまでにない自信作としてメンバーに新曲を聴かせたが、JIROだけが頭を抱えており、TAKUROが歩み寄り「この歌は俺自身なんだよね」と言いかける寸前に「TAKUROくん、こういうのって古いんだよね」と言われ、TAKUROは「俺は古いのか〜」とJIROに気付かされたとのこと。このエピソードは、TAKURO自身が「音楽活動をしていて一番辛かったこと」として語っている。
* レッド・ホット・チリ・ペッパーズレディオヘッドニルヴァーナチャットモンチーのファン。
* TAKUROと同じ幼稚園に通っており、小学校もTAKUROが転校するまでは一緒だった。
*セカンドシングルである真夏の扉では、プロデューサーであった土屋昌巳から、「ピックで(ベース)弾いてるの?駄目だよ、それじゃあ。」と言われたところ、JIROはその場でピックを外したと言う。土屋は「ピックと指とで弾けるようにしろ、という意味でのアドバイスだった」と語っている。
*揚げ物が苦手な模様で、1994年のツアーで回った名古屋で味噌カツを食べた所、のちに蕁麻疹や高熱が出たためそれ以降、揚げ物は一切口にしなくなったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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