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Dr.1 ( リダイレクト:フォッカー Dr.I ) : ウィキペディア日本語版
フォッカー Dr.I[ふぉっかーでぃーあーるあい]

フォッカー Dr.I(Fokker Dr.I、Iはローマ数字の1)は、第一次世界大戦中の1917年に、ドイツ帝国フォッカー社が製作した三枚翼の戦闘機三葉機)で、かの撃墜王「レッドバロン」(赤い男爵)ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンも愛用していたことで知られる。
== 概要 ==
フォッカー社の技術者ラインホルト・プラッツが、当時開発中であった複葉戦闘機をイギリスが開発した三葉の戦闘機ソッピース トライプレーンの性能の高さに影響を受けて三葉機開発に変更したフォッカー V.4から発展したものである。
エンジンはドイツ機では非主流派の空冷回転型を採用した。またエンジンのコントロール(補助スロットル)から機銃の射撃(個別、両方の発射)、クーペボタンまでが操縦桿についているため右手で行なうことができた。武装はプロペラの回転と同調する7.92mmシュパンダウ機銃を機首に2丁装備した。
両機種の形式にあるアルファベットは、Doppeldecker(複葉機)と Dreidecker(三葉機)のそれぞれ頭文字である。最初の量産機では、翼の付け根に強度に不具合があり、その改修に時間にかかったが、コンパクトで翼のアスペクト比が大きく運動性にすぐれ、やや低速ながらも上昇力に優れた機体であった。またラダーの踏み込みによる180度キックターンができる唯一の機体であった。
しかし、分厚い三枚翼により視界が悪く、特に離着陸時の機首が上った姿勢では前が全く見えないほどであった。Dr.Iは参考としたトライプレーンと異なり、中翼の中央を切り取るなど視界を遮らないための工夫がほとんどなされていなかった。機首上げ時には主翼の後流に尾翼が巻き込まれやすいこともあり、着陸時の事故が続出した。また、前述のように主翼に構造的な欠陥があり、同じく撃墜王であったレッドバロンの弟ロタール・フォン・リヒトホーフェンによれば、本機で急降下中に「突然、上翼が取れて複葉機になってしまった」こともあった(ロタールは何とか生還した)。
そして、厚みのある三枚翼(さらに主脚間にも翼があり四葉機に近かった)は抗力(空気抵抗)を増し、速度が敵機よりも遅くなった(たとえば、リヒトホーフェンの最後の空中戦における敵機ソッピース キャメルは182km/h)。また、機動性を高めたためと重心が高く安定が悪かった。主翼は上半角や後退角もないためロール(左右)方向への復元力がない。視界の悪さもあいまって、操縦はそれほど容易ではなかった。生産機数は320機(1917年~1918年の間)と少なかった。
格闘戦においてはヴェルナー・フォスと複数のイギリス機による戦いが有名。機動力を生かし、数で劣勢ながらも二機を撃墜している。かの撃墜王である「レッドバロン」ことリヒトホーフェンも機体を赤く塗って7機を交替使用するなど愛用したため、名機として名を残すことになる。しかし、リヒトホーフェンが撃墜された後の1918年の半ばから性能的に連合軍に対して衰えがみえ、徐々に退役し始めた。第一次世界大戦終結時には訓練機として残るのみだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォッカー Dr.I」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fokker Dr.I 」があります。




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