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AZUMA : ウィキペディア日本語版
AZUMA[あずま]

AZUMA(あずま、1987年10月29日 - )は、日本の女子キックボクサー。本名は永島 梢(ながしま こずえ)。東京都出身。y-park所属。元極真会館千葉県北支部所属。ニュージャパンキックボクシング連盟BONITA・BOXEO初代フェザー級王者。
女子選手としては破格のパワーを持っており、ほとんどの試合でダウンを量産。2007年12月22日には当時、1階級上のチャンピオン佐々木仁子からもダウンを奪っている(この試合は判定負け)。
== 来歴 ==
2005年11月18日、極真会館千葉県北支部所属として「天空」第2回大会で18歳でデビュー。この時のリングネームは本名の永島梢であった。
2006年3月4日、「天空」第3回大会でせりと対戦し、判定負け。
2006年9月3日、y-park所属としてアマチュア大会KAMINARIMON CLIMAX '06・52kg超級でバンタムの体格ながら3戦全勝で優勝を果たした。
2006年10月29日、J-NETWORK「女祭り」で正木純子と対戦し、判定負け。この試合からリングネームを本名からAZUMAに改名した。
2007年3月7日、W.M.F. World Championship 2007に日本代表として出場しインドネシア代表に勝ち、銅メダルを獲得〔W.M.F. World Championship 2007の結果 日本ムエタイ協会(WMF-J)公式サイト 2007年5月8日〕〔メダルの歴史 日本ムエタイ協会(WMF-J)公式サイト 2007年4月25日〕。
2007年12月22日、チームドラゴン主催興行「燃えろドラゴン! その壱」で1階級上のJ-GIRLSフェザー級王者佐々木仁子と対戦。1Rに右ストレートで先制のダウンを奪ったものの、ダウンを奪い返され、0-2の判定負けを喫した〔【チームドラゴン】強太郎レンジャーがK-1JAPANベテランの中迫にKO勝ち!佐々木も逆転勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年12月22日〕。
2008年4月25日、スマックガール最終興行で総合初挑戦もWINDY智美の猛攻の前にKO負けを喫し、試合後ダメージの大きさからリング上で嘔吐した〔[スマック] 4.25 後楽園:藤井・赤野、揃って決勝へ BoutReview 2008年4月25日〕
2008年6月1日付けで所属先であるy-parkがニュージャパンキックボクシング連盟(以下NJKF)に加入した〔三好純ら所属のy-parkが6月1日付けでNJKF加入 BoutReview 2008年6月2日〕。
2009年3月8日、NAGOYAKICKで現J-GIRLSフェザー級王者大石綾乃と対戦し、1ラウンドにダウンを奪い3-0の判定勝ち〔K-1甲子園3位の日下部がKO勝利!メインの大石VSDAIはドロー 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年3月8日〕。
2009年5月16日、JEWELS 3rd RING富田美里とシュートボクシングルールで対戦し、2-1の判定勝ち〔石岡沙織、SBルールで勝利。藤井惠と夏に対戦へ BoutReview 2009年5月20日〕。
2009年9月27日、J-NETWORK「J-GIRLS Catch The stone〜4」で減量苦のために階級をフェザー級に上げ、WAKO・PROムエタイ世界バンタム級王者のヌシアン・ポー・プラムックと対戦し、1-1の判定ドローとなった〔9・27ブアカーオ妹分とAZUMAが決戦を前に意気込み 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年9月25日〕〔AZUMAが女ムエタイ戦士とドロー、アトム級決勝はリトルタイガーVS山田純琴 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年9月27日〕。
2010年1月24日、初代NJKF女子フェザー級王座決定戦で成沢紀予と対戦し、二段蹴りからの左フックでKO勝ちを収め王座を獲得した。同王座はNJKF初の女子王座となった〔【NJKF】羅紗陀が終了間際の逆転劇で前田に激勝!“俺だけの長渕剛”対決は心が勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年1月24日〕。
2010年8月29日、Girls S-cup 2010超弁慶とワンマッチで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた〔【シュートボクシング】5Rの死闘の末、RENAが高橋藍を破りGirls S-cup二連覇を達成! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月29日〕。
2010年11月7日、NJKF興行でメリッサ・ノートンWBCムエタイ豪州王者)とWBCムエタイルールで対戦し、3-0の判定勝ち〔活性化する女子格闘技、AZUMAも「Dynamite!!出たい!」=NJKF スポーツナビ 2010年11月7日〕。試合後、リング上でDynamite!!出場と佐々木仁子との再戦をアピールした。
2011年1月23日、NJKF興行で行なわれたWBCムエタイ日本女子フェザー級王座決定戦で大石綾乃と対戦し、1-2の判定負けで王座獲得はならなかった〔【NJKF】ムエタイの壁は高し!羅紗陀がカノンスックに3度のダウンを奪われて判定負け 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月23日〕。
2011年7月17日、NJKF興行でBONITA・BOXEOルールで大石綾乃との三度目の対戦を判定3-0で下す〔【NJKF】大流血戦の激闘!石川直生敗れる…中須賀初防衛、大和侑也が二冠王に 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年7月17日〕。
2011年9月11日、JEWELS興行で韓国の二冠王キム・ソンウンを2ラウンド、膝蹴りによりKO勝ち〔【ジュエルス】女王・浜崎、魅津希から勝利!AZUMAは韓国王者を一蹴 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年9月11日〕。
2012年3月25日、M-1興行でタイのWMC世界女子フェザー級王者サーオシン・ソー・ソピットと空位のWPMF世界女子フェザー級王座決定戦を戦い、2ラウンドにパンチでダウンを奪うも、4ラウンドに肘で切られて出血TKO敗〔 格闘技ウェブマガジンGBR 2012年3月25日〕。
2012年4月29日、NJKF興行でJ-girls初代フェザー級王者佐々木仁子とのリベンジ・マッチに強行出場。3-0の判定勝ちでリベンジとBONITA・BOXEOフェザー級王座の初防衛に成功する〔 格闘技ウェブマガジンGBR 2012年4月29日〕。
2012年9月22日、JEWELS興行で韓国のMMA王者チャン・ミジョンとの試合後にリング上で同年11月にサーオシン・ソー・ソピットとの再戦が発表された〔 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年9月22日〕。
2013年11月に世界三冠王のリンジーボールからダウンを奪い判定勝ち
その後姿をみなくなる
会長からの暴力が原因で格闘技を辞めたらしい

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「AZUMA」の詳細全文を読む




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